なくなる前に

よく行っていた県内の古本屋が3月頭で店舗営業を終了するというので、最後に訪ねてきた。地元に戻った3年半ほど前に初めて行ったそこは、古本を中心に取り扱いつつもセンスの良い話題の新書や、県内では珍しく個人のリトルプレスなんかも置いている場所で、地元に戻っても文化的な場所がちゃんとあることに当時の私は心底安心したのを覚えている。とはいえ家から1時間弱ほどかかるその店は、休日に時間がない限り行けず、また同時に訪れたいような目ぼしいお店を周辺に見つけることができず、そのうち足が遠のきがちになり、思い出したように数ヶ月に一度訪れるようなところになっていった。

 

zineのイベントで一度お世話になったことがある店主は、「やはり古本屋は厳しい」と話していた。今年に入ってから、県内ではこの店に続き家の近所でお気に入りだった店がもう一店舗、また金沢でもたまに通っていた老舗が一店舗、と急激に古本屋が減っている。各店の閉店のお知らせをSNSで知った時は、本当に悲しかった。

前出の店主が「閉店のお知らせをしてからここ1ヶ月の売り上げが今までずっと続いていたら、この場所を閉めずに済んだけど。まあ最後のご祝儀ということで理解はしている。」とも言っていて、さらにやるせない気持ちにもなった。

そうなんだよな。無くなってほしくない場所には、通わなきゃいけない。無くなってほしくないなら、少しでもお金を落とさなきゃいけない。それはこの場所の価値に対価を支払っていることにもなる。ここ半年ほど完全に足が遠のいていた私に対しても「最後にわざわざ来てくれてありがとう」と言ってくれる店主を目の前にして、身につまされるような思いになった。

 

思えば初めて自作のzineを出展したいと思ったのも実際に参加したのもこのお店と有志が共同開催したイベントだったし、そもそもzineを作ろうと思えたのも地元にそれを紹介したり取り扱ってくれる環境が見つけられたからというのも大きかった。店主の、ローカルな作り手を1番に取り扱いたいというこだわり故だ。その場所があることの意味や価値って、ただただ取り扱っている商品やコンテンツだけではないのだな、と改めて思う。

 

とはいえ、店舗は持たずにオンラインと出店での販売は継続していくそうなので、今度はあの場所があったことの恩返しが少しでもできるように、私も還元していきたいなと思っている。

 

 

映画PERFECT DAYSを見た

ヴィム・ヴェンダース作品ということで見たいと思っていたのと、もうそろそろ映画館での上映終わるなという予感もあり、すでに平日の上映は1日2回のみに減っていた金沢の映画館で。

 

パリ・テキサス』しかり『夢の果てまでも』しかり、長尺ロードムービーのイメージが強かったけれど、今回はあるトイレ清掃員の繰り返される日常の話。毎日早朝に起きて歯を磨いて植物に水をやり、古いアパートの前の自販機で缶コーヒーを買って車のカーステでカセットテープを聴きながら清掃現場へ向かう…同じ繰り返しの中でも毎日異なる天気や景色、木々や植物の様子、そして少ないながらもある人との関わり。昔のカセットや古本、フィルムカメラのある主人公の暮らしは、倹約しつつもそれなりに文化的で、清貧、という表現が適切かは分からないがそんな部類の清々しさもあり、映像作品としてとても心地よく上質なものだと感じた。

 

ただ、時折差し挟まれるホームレスや知的障害者などの社会的弱者とされる登場人物の描写(いろんなところで指摘されているように、主人公と決して深い関わりを持つ訳でも、その社会的な問題点に迫ろうとする訳でもない、ならば何故その演出の必要が?)や、主人公が清掃するトイレそのものが、有名建築家なんかがデザインした高級化された都市の公共施設であることに違和感を覚えた(アイロニーなのか?)。

 

なんとなくフワッとしちゃってるな〜という感想と、まあ映像と音楽がいいからそれでいいのか?という感想がせめぎあって、なんとも言えない感じだった。

ラストシーンのニーナ・シモン「Feeling good」と役所広司の顔芸(これはほんとに凄いと思った)で全部持ってかれて、なんか、いや、いいけどさ〜〜〜これでいいの〜〜??って感じで気付いたらエンドロールの約2時間だった。

 

あれでよかったのか、いまだによく分からない。

日記240212

沈黙していたはてなブログの投稿を始めてみる。最後の投稿が2021年だから、実に3年ぶりである。その間日記を書かなかったわけではないのだが、ネットに投稿するのではなく主に自分の日記帳に個人的な記録として残していた。思えばインスタの投稿をどのタイミングですれば良いか分からなくなった4年ほど前から、ネット上での文章投稿のプラットフォーム迷子になっている。インスタ はストーリー主体になって人の投稿にあまり目を通さなくなってからさほど投稿に意味を見いだせず、Twitter(現X)は続けていたけど差別や陰謀論が蔓延るようになってから距離を置くようになり、文章だけをシンプルに投稿できるはてなブログという安寧の地を見つけたかに見えたがそれも長く続かず、最後は結局紙で日記のzineを作った。

ネット上に公開するしないは置いといて、とりあえず日記をつけておきたいという気持ちは変わらずあるのだけど、それを公開する意味もある気がしているので常にネット上でちょうど良いプラットフォームを探しているんだよな。

年始に「クラフトインターネット」なるものが話題になったと聞いたけど、まさに今皆同じように自分だけのちょうど良い場所を求めているんじゃないだろうか。

まあやってみなきゃ分からんということで、手始めにはてブロ回帰してみようかなと。そしてアナログな形での日記作りは続けていくつもりで、今年も個人的なzineを作ろうと思ってる!

まとまらない

最近はなんだかまとまらない感情を抱えた感じで、

環境のことも政治のこともちゃんと勉強してアクションしたいし、もっと自分の見聞を広めるような場所に行ったり人と出会ったりしたいし、お世話になった人やしばらく会ってない人ともちゃんと連絡取り合いたいし、自己表現したいしもっと本読みたいし、仕事ももっと楽しみたいし服も靴も欲しくて、なんかあれもこれもできてないっていう焦燥感ばかりが募るけど、その間に世界や日本ではとんでもないことが起こったり反対にこんな状況の中でも素晴らしい連帯も生まれたりしていて、なんだか自分はちゃんと今を噛みしめないうちに全部置いてけぼりになるんじゃないかっていう意味のわからん不安がある。

 

1年前と比べれば堂々巡りの悩み事も格段に減ってるし、出口のない病み方はもうしてないけど、今度はもっともっと、と求めて自分の首を絞めてる。もともとできたことを数えるよりできなかったことを数えるのが得意な方なのでいつまでも「足るを知る」という考え方とは程遠い。精神的にマキシマリストでめちゃくちゃ辛くなる時がある。脳と心の荷物が多い。

 

シンプルに一貫性のあることをしたい。けど火のグラトラ持ちだからあれもこれもと手を出す。だからまあ要はただ今は人生の横の幅を広げててそれがいつか太い河になって一方向に流れ出すことを信じてる、、、早く護岸工事終わりますように。

最近のこと

 

またもや更新が空いてしまった。

今度は更新しない間に年が明けてしまった。世界は2021年である。

 

昨年の下半期は環境の変化によって、自分自身の変化も大きかった。

一番大きな変化としては、車を運転するようになったことである。今まで必要に迫られてからでいいか〜と思ってた免許の取得、まさにその時が意外と早く来たので、怒涛の勢いで最寄りの自動車学校に通い詰め、無事一発で普通第一種免許を取得することができた。その後家族の諸々のサポートもあり、今では中古の軽四を毎日駆っているわけなのだが、免許取得後1ヶ月半程度ですぐにやってきた北陸のドカ雪で冬道運転の洗礼を受け、身も心も満身創痍の状態でこのブログを書いている。

 

地方の自動車社会に生きているからということもあるが、やはり車は私たちの生活を劇的に変えてくれる。今までは「車?…フーンいつか乗るんじゃない、まあでも別に乗れなくても生きていけるっしょ」くらいに思っていたが、やはり好きな時に好きなところにいられる、というのはカーライフの一つの大きな特権である。公共交通機関だって夜中は走ってないし、唯一走っている夜行バスに乗るのにも予約がいるのを考えれば(別に夜中にどこかに飛び出したい衝動に駆られているわけではないが)、やはり車ほど様々な制約なしに個人の思惑通り動かせる乗り物を私は知らない(だからこそ事故も多いのだが)。車を動かせるうようになって、私はまた一つ自由への切符を手に入れたということになる。

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年末年始に来たるべき年の抱負なるものをノートに書くのは、まあそれが達成できているかどうかは別としてほぼ毎年恒例になっているのだが、今年の抱負はでっかくぶちあげるというよりは、小さなことを着実にやってこうね、というような内容をいくつか書いた(詳しくは恥ずかしいのでここには書きません)。そして今ここでもうひとつ付け加えたいのは、前述の車の免許のように、「自分を自由にするもの、こと」を増やしていく、ということ。それが免許というような目に見える資格であったり、考え方のことであったり、はたまた必要なものであれば物だっていい。とにかく、それがあることによって自分がさらに自由に、軽やかになれることを増やしていきたいと思う。

 

このブログも、自分の考え事の積み荷を一旦下ろして脳を軽くするために、本当はもっと頻繁に書いていきたいと思っているのだが…考え始めたら自分なりに文章がまとまるまでは公開できないという、要らぬ完璧主義を患っているので、下書きがたまる一方なのは今年なんとか克服したいことのひとつである。

 

それでは、油断したらだらだらとまとまらないことを書き連ねてしまうので今日はこの辺で。引き際も大事。今年もよろしくお願いします。

 

画家の家-フランスよもやま話②-

フランス留学中、私は画家の家に住んでいた。

正確にいうと、大家であるフランス人女性の画家のアトリエで、日本人女性の画家と一緒にシェアハウスをしていた。

 

フランスはリヨンで始まった留学生活だったが、通っていた大学から徒歩3分の学生アパートの管理人とは全くウマが合わないやら家賃・光熱費がぼったくりかと思うほどかさむやらで、結局は5ヶ月ほどで引っ越し先を探すことにした。学生アパートより家賃が安くて、大家さんがフランス人で(フランス語を話したかったため)、なおかつ住むのが楽しくなるような素敵な部屋、、、とネットで色々と探していたところ、現地の日本人コミュニティサイトでたまたま見つけたのがその家だった。

 

連絡を取ってみると、同居人となる日本人女性と繋がり、部屋の詳細や写真などを送ってくれ、後日見学に行くことになった。実際に訪れてみると、アトリエが地下と一階にあり、中二階に個人の部屋があるという見たこともないアパートの間取りに惹かれたし、なにしろ一階のアトリエが全面ガラス張りという開放感、そしてあちらこちらに散乱する造形作品、塗りかけのキャンバスや絵具。うわー、画家の家だ!という分かりやすい興奮を覚え、その時点で残り半分を切った留学生活ではあったが、その家に住むことを即決した。

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アトリエにて


 大家さんであり画家であるのは5〜60代のマダム(一応個人情報なので名前はふせておく。家の間取りまで言っといて今更って感じではあるが)で、アーティスト然とした品のある雰囲気を持っていた。口数も多くなく、ともすれば相手を緊張させる独特のオーラのある人で、日中一階のアトリエに制作にやってくる時間以外日常生活で接する機会はあまりなかったものの、彼女と会えば自然に背筋が伸びた。良家のお嬢様だったという話は聞いたが、3度の結婚を経て大勢の子供がいるにもかかわらず、いわゆる「お母ちゃん」みたいな雰囲気を一切感じさせない、稀有な人だった。3人目である現在の夫(こちらは長身でお調子者、「気のいいフランス人」みたいなタイプ)とはつい数年前に結婚したばかりで、出会いのきっかけを聞くと「アプリよ」と即答。フランスは自由恋愛の国、フランス語は愛の言葉だという話は散々聞いてきたが、自分の両親よりも年上の男女がこうして恋愛に対して積極的に活動していることに、その一端を見たように思う。

 

同居人である日本人女性もまた、画家であり、地下が彼女のアトリエだった。20ほど歳が離れた私たちであったが、日曜に近くのマルシェで買い物をしてランチを家で作って食べたり、近くにできた日本食レストランにでかけてみたり、共通の友人であるリヨンのアーティストのアトリエを訪れたりとなにかと仲良くしてもらって、お互いの恋愛相談なんかの身の上話までできる、お姉さんのような、友達のような、不思議な関係を築くことになった。(留学終盤はここぞとばかりに遊んでいた私の帰宅時間の遅さで何度か迷惑をかけたことはこの場を借りてお詫びしたい。)

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美術本読み放題

2人とも、「制作」という己と向き合う時間があるからだろうか、見る人が見れば独特な立ち居振る舞い、日常の中でのこだわりを持っていて、初めのうちこそ距離の測り方に戸惑った。しかしそれにも慣れてくると、変に気を使いすぎず、かと言って個々人の生活スタイルは尊重し合う、お互いにインディペンデントな関係が、それはそれで居心地が良かったのを覚えている。

 

物心ついた頃から絵を描くのが大好きで、美術館へよく出かける私だが、そんな尊敬する「画家」という職業の人たちと暮らせるなんて夢みたいで、今までの人生の中でも上位に入るくらいラッキーな体験だったと思う。そしてもちろん、画家と言っても1人の人間で、家事炊事もするし、買い物にも行くし、恋愛もするし、結婚したり家族との生活があったりと、良い意味で普通の人なんだ、という当たり前っちゃ当たり前のことに気付かされ、画家のイメージが19世紀くらいで止まってた私としてはなんだか新鮮な発見だった。でも、そんな普通の生活の中でも、自分の感性を「絵」というものを通して表現している尊さや素晴らしさを改めて思ったりもした。

 

また、この家の周辺環境が私にとっては理想的だったことも、この体験をスペシャルなものにしている一つの要因である。家のすぐ目の前には小さな公園があって、天気の良い日はたまに芝生の上で本を読んだり、坂を少し登れば、週末には街でも1、2の大きなマルシェやブロカントが開催されていたり、さらには小さな古書店や道の両側に多くのアトリエが点在するアトリエ・ストリートが家からそう遠くないところにあったり、雰囲気の良いカフェが徒歩圏内にいくつもあり、友達との待ち合わせも徒歩で合流できたり…書き連ねていくと郷愁の念のようなものから涙ちょちょぎれそうだが、リヨンの中でも早々にベスト・プレイスを発見してしまったのではないだろうか。そう思うくらい文句のない場所だった。

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マルシェに行く時に登ってた階段を上から

 

たった数ヶ月だけだったけれど、夢のような画家の家での生活は私のリヨンの生活の中でも大切な思い出になった。学生アパートを思い切って抜け出して、この家に住むことに決めて良かった。この家に住んだからこそ出会えた人たちや、知り得たこと、体験できたことが、確実に今の私の一部を作っているなあと思う。

 

「分からない」をそのままにしておくこと、考え続けること

 

現首相が辞任する。

ホッとしたような、悔しいような、複雑な心境。今はとにかく、これからだ、という思いが強い。

自身の健康問題である難病の潰瘍性大腸炎、それはご自愛いただきたいし、投薬が効き、ぜひ快方に向かえばいいと思う。ただ、今までやってきたことのツケは払っていない。病気という個人的な問題と、総理大臣という公職としての問題、それらは全く別の問題である。彼の長期政権において、傷ついてきた人たち、虐げられてきた人たち、残念ながら命を落としてしまった人への償いがまだ終わっていない。全てを正直に話し、情報を開示し、しかるべき方々へ謝罪し、しかるべき場所へ行ってほしい。

 

♦︎♦︎♦︎

私が「政治」というものを意識し始めたのはわずか2年ほど前からで、それまでは恥ずかしながら自分には無関係なことだと思っていた。しかし、留学で友達になった韓国人の女の子とカフェで何気ない会話をしていた時、「それで、今の日本の政治についてどう思うの?」と突然彼女に切り出されたことが、私が政治に関心を寄せるきっかけになった。当時それは自分にとって全く突拍子もない質問で、「そんなこと考えたことないよ」とその場を濁した。しかしなおも彼女は「そうなの?韓国では友達とカフェやバーで政治のこと普通に話したりするよ」と言ったので、驚いたのを覚えている。彼女は日本の政治について私より詳しく知っているようで、同じくその場に居合わせた政治学部に通う日本人の女の子とともに、日本、韓国を含むアジア情勢について話しているのに私は全くついていけず、私はこれまで何をしていたんだろう、と悔しい思いをした。それ以来、政治に対する意識が変わった。意識が変わると、日常生活の中にたくさんの政治が絡んでいることに気付いた。

 

れいわ新撰組山本太郎氏は「政治に無関心であっても、無関係ではいられない」と発言している。確かに、私たちは意識的に政治に無関心でいようとすることはできても、この社会で生きていく中で、全ての選択、行動に政治が関わってくることを避けられない。何を食べ、何を着、何を読み、何を買うのか。言ってしまえば全て政治である。その途方もない責任感、そして同時に無力感。全てを自分で選び、その全てに責任が付き纏うのなら、何も選ばない方がマシだ。自分で考えるより、提示されたものを享受する方が楽だ。「分かりやすい」ものの方がいい。これこそが、この8年にも渡る長期政権で醸成された世の中の空気感ではないだろうか。

 

正直、政治について詳しいかと聞かれれば、ノーである。義務教育で習ったはずの政治の仕組みや、読み方も分からんような法律名をネットで検索している自分がいる。さらに政治に向き合うことが好きかと聞かれれば、それこそノーである。問題に向き合うために利害関係を色々調べたりするのってやっぱ面倒くさいし、知れば知るほど、結局見えてくるのは世の中の理不尽なまでの不平等だったりするから。辛いし、できれば知りたくもないし、無関係でありたいと思う。しかし私たちは生まれた瞬間から、どの国にいようとも、政治の中に生き、政治の中で死んでゆくことが決定づけられている。やはり無関係ではいられない。無関係でいられないのならば、徹底的に向き合う他はない。

 

今も、分からないことばかりだ。だけど、そのたび勉強して、考え続けなければ、と思う。考えることをやめ、全てを政治家に預け続けた結果、我々が失ったものはあまりにも大きいと思う。「分かりやすさ」に引っ張られてはいけないのだ。正しいのか正しくないのか「分からない」ことを「分からない」という、それを考え続ける、声を上げる、その繰り返しだ。地味だし、途方もないし、果たして希望はあるのか、全てを投げ出しそうになる。しかし、いつしか政治に向き合うことが嫌ではなくなるような、全ての人が生きやすいような、そんな理想論みたいな社会が、理想論ではなく実際に来ると信じていて、そのために考え続ける。

 

実際に、こうやって私がよく分かってもいない政治を語ることに対して、様々思う向きがあるのは分かる。政治ってそれだけ日本ではデリケートな問題だ。でも、だからこそ、私が政治について考えるきっかけを作ってくれた韓国人の友達のように、カフェや居酒屋で、気軽にみんなが政治を語り合えるようにしたいから、臆することなくこれからも政治を語ろうと思う。近頃、SNSで政治的な立場を明らかにする20代が増えてきて、私はとても心強い。彼ら彼女らに敬意を払いつつ、一緒に頑張りたいと思うし、例え政治的な思想が違っていたとしても、どこかに双方が納得できる着地点を探し、お互いが気持ちよく共存できるようにしたい。

 

武田砂鉄氏の『分かりやすさの罪』では、世の中に蔓延る「分かりやすさ」がわたしたちに与える悪影響を説いている。改憲かそうでないかの二択をせまる与党、差別発言を含む「強い言葉」を頻繁に用いワイドショーを賑わす政治家やタレント、極端な言動でファンを囲うオンラインサロン界隈の人々… 決して「分かりやすさ」に飛びつかず、自分で考え続けることをやめてはいけない、そして、あらゆる問題について「分からない」ところがあるのなら、「分からない」という状態のまま残しておく必要がある。私にとっては、政治との向き合い方を再考する良い機会となったし、この記事も、武田氏のこの本に触発されて書き始めた。

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よくまとまらない考えをとりあえずこのタイミングでブログに綴っておきたかった。呼びかけのようでありながら、決意表明というか、自分に言い聞かせているところが多分にある。

とにかく、これからもねちねちと考え続ける。