フランス留学よもやま話①

 

さて、昨日投稿した記事の通り、私は大学3年時にフランス・リヨンで一年の留学を経験した。このシリーズでは、そろそろフランスが本格的に恋しくなってきた私が留学中に楽しかったこと苦しかったことなどなどを忘備録的に書き連ねていこうと思う。

 

生まれて初めての海外、それもいきなり1年弱の滞在という、我ながら思い切った行動に踏み切ったなと思うが、あの頃は「何が何でも行かなくちゃ!!!」と息巻いており、不安しかないけどまあなんとかなるっしょ!という謎の自信だけを携えリヨンに降り立ったのである。

 

まあこうして大学も卒業し、日本でブログを書いているということは幸いにも何とかなったということなのだが、昨日たまたま在仏中の日記を見返していたところ、いろんなことを相当に思い悩んでいたことが呼び起こされ、当時に帰って思わず自分を抱きしめてやりたい気持ちになった。そんな第一回目の今日は、いきなり留学中に私がぶち当たった巨大な問題のお話です。

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私にとって留学は確実に人生の節目だったと言える。初めて日本を離れ、「異邦人」としてフランスで生活することによっていろいろな気づきを得た。今まで、日本という安寧の地に自分がどれだけ甘えて生活してきたかということに嫌ほど向き合わされたし、日本人とは全く違った常識を持つ人たちとの関わりの中で、自分の視野も視座も一気にグッと広まり高まり、平たくいえばアイデンティティクライシスなるものが起きたのが私の留学だった。そう、自分が一回ブッ壊れたのである。え??世界広すぎん?てか自分の世界狭すぎん???うわ、自分って今まで何が楽しくて何のために生きてたんやっけ??あれ??ナニコレ??みたいなやつである。まあ、その状況が「アイデンティティクライシス(自己喪失)」なるものだと知ったのは随分と経ってからなのだが、、、

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海外での生活経験がある向きなら理解していただけるかもとは思うが、はっきり言ってこれはかなり辛かった。というか、全然こんな暗い問題抱えなくても楽しめるのが留学だろうとは思うが、そこは太陽星座・月星座乙女の宿命なのか、自分の抱える問題に真っ向から立ち向かい、答えが出るかどうかは別として考えあぐねなければ気が済まなかったのである。

 

それまでの20数年間、自分の中で「常識」としてあったものが根本から覆されると、人は大きな衝撃を受けるらしい。それまで閉じこもっていた世界、型というものに軋みが生じ、というか外側からハンマーのようなもので打ち破られ、広〜い空がぽっかり見える。そして外に出てみると、それまで閉じこもっていたものの全貌が明らかになり、自分がいかに狭いものに囚われていたかに面食らう、という具合だ。お国柄だけで結論づけたくはないが、しかし島国で独自の文化を育んできた我々にとっては、一度ポーンと大陸に放り出されないと、世界のだだっ広さを知る術はなかなかないのでは、とも思う。

 

とにかく、ヨーロッパ大陸フランス共和国で途方に暮れた私は、いろんな人を精神的に頼った。日本にいる家族、マイメンたち、リヨンの友達、先輩、、、それまで、「人に頼る、弱さを見せる」ことはなるべくしないほうがいい、という武士みたいな精神を持ち合わせていた私は、身を挺してこの自分の掟を破った。というか破らざるを得なかった。「吐き出すしかないのでござる!」というところまできていたからである。「日記をつける」という習慣を始めたのもこの留学中である。自分の思いを、文字や声にしてみるというのは当たり前なことのようで偉大なことだと思う。日本語、フランス語、その他諸言語を発明した大昔の人にマジセンキューである。それ以来、人に話すこと、または日記やブログなど、自分の思いを気の向くままに書くことが自分の考えや感情の整理でもあるし、自分自身を癒すことにもなっている。

 

とは言っても、様々な人との関わりや、尊敬できる、心を許せる人たちとの出会いの中で徐々にときほぐされ、帰国の頃にはちゃんと(?)「帰りたくない!」と素直に思えるまでに留学を楽しめたので、そこは安心して欲しい(なにを)。逆に、一番辛かった出来事を一番先に書いておくことで楽しかった思い出を安心して思い出していこう、というスタイルなのです。

 

なんだか随分と厳しい留学回想ブログの始まりとなったが、こうしてブログを書いているのも、書くことが癒しになると気づけた留学中のことがあってからなので、ちゃんと書き記しておこうと思う。次回は明るい記事になることを願って。アデュー。