今まで経験してきたバイトを列挙してみると、
個別指導塾の講師、アパレル販売、美術館の音声ガイドスタッフ、焼肉屋、などなど、脈絡なく、その時々にやりたいと思ったものをやってきて、どれも一応それなりに続けてきた。
そして中でもひときわ異彩を放つのが現バイトのクラシック音楽バーである。
クラシック音楽を全く聴かない私だが、面白い店があるからと先輩に遊びに連れて行ってもらったらなんとなく働くことが決まってしまった。
クラシック音楽バーとか聞くと、クラシック音楽をこよなく愛する清楚な方たちが洋酒を片手にクラシック聴きながら悦に浸る姿とかを想像するだろうが、私のバイト先は全くそんなところではない。
まず日本随一の日雇い労働街という立地上、客の大半はクラシック音楽好きではない。日雇いのおっさんや現役を引退して生活保護暮らしのじいさん、そのへんの酔っ払い、脈絡なく自分の好き勝手話すヤク中みたいな人が7割、観光客の外国人1割、ちゃんとしたクラシック音楽ファン2割という客構成。クラシック音楽喫茶とかによくある、おしゃべり禁止とかいう気高い概念や規則はない。客は好き勝手喋るし、政治談義とか始めて険悪になり超めんどくさいし、ロック好き連中のおっさんたちが「クラシックで1番速い曲をかけろ」と暴れたりする。さながらケイオス(chaos)である。
それでもうちの店長のクラシック音楽オタクぶりにファンがつき、関西の新聞やテレビ番組に取り上げられ、なんやかんやすたれつつあるクラシック音楽関係の数少ない店としては繁盛している方ではあると思う。私はそんな中クラシック音楽を全く知らないバイトとして、常連さんとの他愛もない会話をする係として、ありがたいことに可愛がってもらっている。
今回は、そんな支離滅裂な店内環境の中で、思い出に残る常連たちとそのエピソードをなんとなく書き連ねて行こうと思う。
1.ガイストとメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲
常連でガイストというあだ名の60代の歯抜けの紳士がいた。ちなみにこのあだ名の由来は、この紳士が以前に「この曲から何を感じるか?それはガイストだよ。ガイストって何か知ってるか?…ドイツ語で精神って意味だよ。」とお気に入りの楽曲を聴きながら発言をしたからである。
そのガイストが、転勤で関西を離れるからと、最後の日に私に渡した手紙がこれである。
この手紙からも、そこはかとないガイストを感じることだろう。ちなみに最後の、「一度、聴かれた苦(く)!」は独特すぎてその後2週間は頭を離れなかったし、ガイストが勧めてくれた映画『ドクトル・ジバゴ』で号泣するくらい私は心のひだが厚い方である。
そのガイストが、手紙を渡してくれた最後の日に、
「この曲を、あなたに贈りたい…」
と前歯のない口で言ったのが件のメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲である。
とても情熱的な旋律である。
この曲を私に送りたかったのかと思うとなんかちょっと鬼気迫るものを感じたりもするが、私はこの手紙とともに、ガイストのガイストをしかと受け取り、彼は颯爽と姿を消した。
これまた常連でハナちゃんという50代のトラック運転手の男性(某松井市長にクリソツ)がいる。
ハナちゃんは素面の状態でも酔ってるかのようにフワフワしてる不思議な人で(書いててだいぶヤバイなと思ったが事実)、いつも「ガッキーのことが大好きな話」、「皇族の中ではカコ様が一番タイプだという話」、「シャルルドコーレ空港の話(シャルル・ドゴール空港のこと)」の3大持ちネタを披露しつつ、私のことを「もちもちほっぺ」と呼び、「オレンジジュース一杯どうぞ」と酒を奢ってくれる。以前ハナちゃんがベロベロに酔っていた時に、十数杯立て続けに奢られるという「水責めの刑」を受けたことがあるほど気前の良い方でもある。
そんなハナちゃんが来店すると絶対にリクエストするのがショパンの英雄ポロネーズである。
辻井伸行 ショパン 英雄ポロネーズ Nobuyuki Tsujii Chopin Heroic Polonaise Op. 53
ご存知の方も多いと思うが、ドラマティックな旋律が非常に有名な曲である。
毎回この曲しかリクエストしないものだから、この曲の好きなところは?と聞く人が後を絶たない。関西のテレビで取り上げられた時もこの曲を聴くハナちゃんにスタッフが好きなところを聞くくだりが5分くらい流れたりした。(その時に彼は自身の年齢をしっかりと10歳サバ読んだのを私は忘れない)
聞かれるたびに ハナちゃんは曲を聴きながら、
「ここじゃないんですよ」「ここ…やと思うでしょ?もうちょっと後なんですよ」
とノラリクラリかわし、
「じゃあココ!ってところがきたら教えてください」と頼むと、分かったと言うが、そうこうしてるうちについに曲が終わる。
「結局どこやったんですか?」
と聞くと、
「結局ね………全部いいんですねえ。」
ハナちゃんは、とらえ所のない不思議な男である。
3.生活芸術家のヨネダさんとショットのライダース
3つめはもうクラシック音楽関係ない。
うちの店は資本主義貨幣経済がしかれた現代でもなお、物々交換制とツケ制が残る古き良きバーである。といっても全客を対象にではなく(もしそうなら店が潰れる)、店長が認めた数人のお客さんに限り、そういう特別制度をしいている(その判断基準は知らない)。最初知ったときは江戸時代にタイムスリップしたかと思った。
そんな特別制度が適用される常連のうちの1人に、生活芸術家という肩書のヨネダさんという独特な40代(?)男性がいる。どれくらい独特かは、彼が私にくれたこのTシャツが物語っている。
そんな彼がある日、ライダースジャケットで有名な米ブランド、ショット(schott)のライダースを持って現れた。本物なら10万もくだらない。しかも北斗の拳のケンシロウみたいな肩パッドがくっついたやつである。あまりにも怪しかったので裏地を確認すると、ちゃんとショットのタグがついていた。
「これあげるから一杯飲ませてくれ!」それが彼の要求であった。
あまりにも割に合わない、そして怪しい交渉である。しかしそこは頭のおかしいうちの店長、ケンシロウのショットと1杯1200円のウイスキーを物物交換したのである。なるほど、物々交換には、ほんのちょっとの勇気とたくさんのゴリ押しが必要らしい。
しかし後日、ヨネダさんの友人(来店経験あり)が俺のショットを返してくれ、と店に現れることになる。つまり、ヨネダさんは友人のショットを人質にして酒を飲んだということだったのだ。もうめちゃくちゃである。
そしてうちのバーでの2週間弱の監禁ののち、ケンシロウのショットは持ち主の元へ帰って行くことになるのだが、人の物と引き換えに酒を飲む人が世の中にいると初めて知った日であった。
とまあこういう変人・奇人がひしめいており、そんな人たちの中でもみくちゃになりながら働いている。
面白い人たちがたくさん来るので、人間って面白いなぁ!人間っていいなぁ!という日本むかし話ばりの広い心が持てるようになるが、同時にそんなところで働いていると、人間ってなんとかなるよなぁ!という楽観的な姿勢が身についてしまい、いんだか悪いんだかよく分からないことになっている。
しかしこれら常連たちから学んだことは何かと聞かれればやはり「みんな違って、それでいい」ということだったりするので、本当人間ブラボー!みんな好きなように生きて行こうぜ!私も好きなように生きるぜ!と高らかに宣言して終わりにします。ケ・セラ・セラ〜〜!