画家の家-フランスよもやま話②-

フランス留学中、私は画家の家に住んでいた。

正確にいうと、大家であるフランス人女性の画家のアトリエで、日本人女性の画家と一緒にシェアハウスをしていた。

 

フランスはリヨンで始まった留学生活だったが、通っていた大学から徒歩3分の学生アパートの管理人とは全くウマが合わないやら家賃・光熱費がぼったくりかと思うほどかさむやらで、結局は5ヶ月ほどで引っ越し先を探すことにした。学生アパートより家賃が安くて、大家さんがフランス人で(フランス語を話したかったため)、なおかつ住むのが楽しくなるような素敵な部屋、、、とネットで色々と探していたところ、現地の日本人コミュニティサイトでたまたま見つけたのがその家だった。

 

連絡を取ってみると、同居人となる日本人女性と繋がり、部屋の詳細や写真などを送ってくれ、後日見学に行くことになった。実際に訪れてみると、アトリエが地下と一階にあり、中二階に個人の部屋があるという見たこともないアパートの間取りに惹かれたし、なにしろ一階のアトリエが全面ガラス張りという開放感、そしてあちらこちらに散乱する造形作品、塗りかけのキャンバスや絵具。うわー、画家の家だ!という分かりやすい興奮を覚え、その時点で残り半分を切った留学生活ではあったが、その家に住むことを即決した。

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アトリエにて


 大家さんであり画家であるのは5〜60代のマダム(一応個人情報なので名前はふせておく。家の間取りまで言っといて今更って感じではあるが)で、アーティスト然とした品のある雰囲気を持っていた。口数も多くなく、ともすれば相手を緊張させる独特のオーラのある人で、日中一階のアトリエに制作にやってくる時間以外日常生活で接する機会はあまりなかったものの、彼女と会えば自然に背筋が伸びた。良家のお嬢様だったという話は聞いたが、3度の結婚を経て大勢の子供がいるにもかかわらず、いわゆる「お母ちゃん」みたいな雰囲気を一切感じさせない、稀有な人だった。3人目である現在の夫(こちらは長身でお調子者、「気のいいフランス人」みたいなタイプ)とはつい数年前に結婚したばかりで、出会いのきっかけを聞くと「アプリよ」と即答。フランスは自由恋愛の国、フランス語は愛の言葉だという話は散々聞いてきたが、自分の両親よりも年上の男女がこうして恋愛に対して積極的に活動していることに、その一端を見たように思う。

 

同居人である日本人女性もまた、画家であり、地下が彼女のアトリエだった。20ほど歳が離れた私たちであったが、日曜に近くのマルシェで買い物をしてランチを家で作って食べたり、近くにできた日本食レストランにでかけてみたり、共通の友人であるリヨンのアーティストのアトリエを訪れたりとなにかと仲良くしてもらって、お互いの恋愛相談なんかの身の上話までできる、お姉さんのような、友達のような、不思議な関係を築くことになった。(留学終盤はここぞとばかりに遊んでいた私の帰宅時間の遅さで何度か迷惑をかけたことはこの場を借りてお詫びしたい。)

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美術本読み放題

2人とも、「制作」という己と向き合う時間があるからだろうか、見る人が見れば独特な立ち居振る舞い、日常の中でのこだわりを持っていて、初めのうちこそ距離の測り方に戸惑った。しかしそれにも慣れてくると、変に気を使いすぎず、かと言って個々人の生活スタイルは尊重し合う、お互いにインディペンデントな関係が、それはそれで居心地が良かったのを覚えている。

 

物心ついた頃から絵を描くのが大好きで、美術館へよく出かける私だが、そんな尊敬する「画家」という職業の人たちと暮らせるなんて夢みたいで、今までの人生の中でも上位に入るくらいラッキーな体験だったと思う。そしてもちろん、画家と言っても1人の人間で、家事炊事もするし、買い物にも行くし、恋愛もするし、結婚したり家族との生活があったりと、良い意味で普通の人なんだ、という当たり前っちゃ当たり前のことに気付かされ、画家のイメージが19世紀くらいで止まってた私としてはなんだか新鮮な発見だった。でも、そんな普通の生活の中でも、自分の感性を「絵」というものを通して表現している尊さや素晴らしさを改めて思ったりもした。

 

また、この家の周辺環境が私にとっては理想的だったことも、この体験をスペシャルなものにしている一つの要因である。家のすぐ目の前には小さな公園があって、天気の良い日はたまに芝生の上で本を読んだり、坂を少し登れば、週末には街でも1、2の大きなマルシェやブロカントが開催されていたり、さらには小さな古書店や道の両側に多くのアトリエが点在するアトリエ・ストリートが家からそう遠くないところにあったり、雰囲気の良いカフェが徒歩圏内にいくつもあり、友達との待ち合わせも徒歩で合流できたり…書き連ねていくと郷愁の念のようなものから涙ちょちょぎれそうだが、リヨンの中でも早々にベスト・プレイスを発見してしまったのではないだろうか。そう思うくらい文句のない場所だった。

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マルシェに行く時に登ってた階段を上から

 

たった数ヶ月だけだったけれど、夢のような画家の家での生活は私のリヨンの生活の中でも大切な思い出になった。学生アパートを思い切って抜け出して、この家に住むことに決めて良かった。この家に住んだからこそ出会えた人たちや、知り得たこと、体験できたことが、確実に今の私の一部を作っているなあと思う。