「分からない」をそのままにしておくこと、考え続けること

 

現首相が辞任する。

ホッとしたような、悔しいような、複雑な心境。今はとにかく、これからだ、という思いが強い。

自身の健康問題である難病の潰瘍性大腸炎、それはご自愛いただきたいし、投薬が効き、ぜひ快方に向かえばいいと思う。ただ、今までやってきたことのツケは払っていない。病気という個人的な問題と、総理大臣という公職としての問題、それらは全く別の問題である。彼の長期政権において、傷ついてきた人たち、虐げられてきた人たち、残念ながら命を落としてしまった人への償いがまだ終わっていない。全てを正直に話し、情報を開示し、しかるべき方々へ謝罪し、しかるべき場所へ行ってほしい。

 

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私が「政治」というものを意識し始めたのはわずか2年ほど前からで、それまでは恥ずかしながら自分には無関係なことだと思っていた。しかし、留学で友達になった韓国人の女の子とカフェで何気ない会話をしていた時、「それで、今の日本の政治についてどう思うの?」と突然彼女に切り出されたことが、私が政治に関心を寄せるきっかけになった。当時それは自分にとって全く突拍子もない質問で、「そんなこと考えたことないよ」とその場を濁した。しかしなおも彼女は「そうなの?韓国では友達とカフェやバーで政治のこと普通に話したりするよ」と言ったので、驚いたのを覚えている。彼女は日本の政治について私より詳しく知っているようで、同じくその場に居合わせた政治学部に通う日本人の女の子とともに、日本、韓国を含むアジア情勢について話しているのに私は全くついていけず、私はこれまで何をしていたんだろう、と悔しい思いをした。それ以来、政治に対する意識が変わった。意識が変わると、日常生活の中にたくさんの政治が絡んでいることに気付いた。

 

れいわ新撰組山本太郎氏は「政治に無関心であっても、無関係ではいられない」と発言している。確かに、私たちは意識的に政治に無関心でいようとすることはできても、この社会で生きていく中で、全ての選択、行動に政治が関わってくることを避けられない。何を食べ、何を着、何を読み、何を買うのか。言ってしまえば全て政治である。その途方もない責任感、そして同時に無力感。全てを自分で選び、その全てに責任が付き纏うのなら、何も選ばない方がマシだ。自分で考えるより、提示されたものを享受する方が楽だ。「分かりやすい」ものの方がいい。これこそが、この8年にも渡る長期政権で醸成された世の中の空気感ではないだろうか。

 

正直、政治について詳しいかと聞かれれば、ノーである。義務教育で習ったはずの政治の仕組みや、読み方も分からんような法律名をネットで検索している自分がいる。さらに政治に向き合うことが好きかと聞かれれば、それこそノーである。問題に向き合うために利害関係を色々調べたりするのってやっぱ面倒くさいし、知れば知るほど、結局見えてくるのは世の中の理不尽なまでの不平等だったりするから。辛いし、できれば知りたくもないし、無関係でありたいと思う。しかし私たちは生まれた瞬間から、どの国にいようとも、政治の中に生き、政治の中で死んでゆくことが決定づけられている。やはり無関係ではいられない。無関係でいられないのならば、徹底的に向き合う他はない。

 

今も、分からないことばかりだ。だけど、そのたび勉強して、考え続けなければ、と思う。考えることをやめ、全てを政治家に預け続けた結果、我々が失ったものはあまりにも大きいと思う。「分かりやすさ」に引っ張られてはいけないのだ。正しいのか正しくないのか「分からない」ことを「分からない」という、それを考え続ける、声を上げる、その繰り返しだ。地味だし、途方もないし、果たして希望はあるのか、全てを投げ出しそうになる。しかし、いつしか政治に向き合うことが嫌ではなくなるような、全ての人が生きやすいような、そんな理想論みたいな社会が、理想論ではなく実際に来ると信じていて、そのために考え続ける。

 

実際に、こうやって私がよく分かってもいない政治を語ることに対して、様々思う向きがあるのは分かる。政治ってそれだけ日本ではデリケートな問題だ。でも、だからこそ、私が政治について考えるきっかけを作ってくれた韓国人の友達のように、カフェや居酒屋で、気軽にみんなが政治を語り合えるようにしたいから、臆することなくこれからも政治を語ろうと思う。近頃、SNSで政治的な立場を明らかにする20代が増えてきて、私はとても心強い。彼ら彼女らに敬意を払いつつ、一緒に頑張りたいと思うし、例え政治的な思想が違っていたとしても、どこかに双方が納得できる着地点を探し、お互いが気持ちよく共存できるようにしたい。

 

武田砂鉄氏の『分かりやすさの罪』では、世の中に蔓延る「分かりやすさ」がわたしたちに与える悪影響を説いている。改憲かそうでないかの二択をせまる与党、差別発言を含む「強い言葉」を頻繁に用いワイドショーを賑わす政治家やタレント、極端な言動でファンを囲うオンラインサロン界隈の人々… 決して「分かりやすさ」に飛びつかず、自分で考え続けることをやめてはいけない、そして、あらゆる問題について「分からない」ところがあるのなら、「分からない」という状態のまま残しておく必要がある。私にとっては、政治との向き合い方を再考する良い機会となったし、この記事も、武田氏のこの本に触発されて書き始めた。

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よくまとまらない考えをとりあえずこのタイミングでブログに綴っておきたかった。呼びかけのようでありながら、決意表明というか、自分に言い聞かせているところが多分にある。

とにかく、これからもねちねちと考え続ける。