カレー

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カレーが好きだ!

と言う人はおおいですよね。私も例に漏れず、カレーラバーです。ただし、どこどこのスパイスカレーが絶品で、、、とかいうこだわりは一切なく、バーモントカレーやジャワカレーなんかの家庭で簡単に楽しめるカレーも、ちょっと裏ぶれた街にあるDEEPでDOPE(てきとう)な雰囲気を醸し出すスパイスカレー屋さんのカレーでも、とにかくカレーの味がしたらなんでもいいです。

 

今日は、以前友人に教えてもらったSBのカレー缶と鯖缶、そしてトマト缶という、缶だらけカレーをつくりました。材料が缶だけなのでとってもカンタン!カンカンうるさいよね。てへ。

 

今度はスパイスカレーにも挑戦してみないといカン!🥫

 

古着のドレス

今週のお題「自慢の一着」

 

今週のお題がお洋服関連だったので、ここぞとばかりに!

わたしのお気に入りの1着はこれ。(狭〜〜い玄関で撮ったので全体像が見えにくいのですが悪しからず。あ〜〜横幅2mくらいの超デカイ全身鏡ほちー!)

 

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70年代のデッドストックのインディアンドレス。

アメ村のよく行く古着屋さんで、いつものお姉さんに勧められたもの。見ての通りの派手さなので、おねいさんに勧められた時は、「いやいやいや〜」と思ってたのですが、着てみるだけでも着てみて!!とのおねいさんのゴリ押しにより、「ま、着るだけなら」と思ったが最後、「ええやん」→即決の流れ。(私、のせられ上手っ*)しかし実はこのドレス、大学の卒業式&いとこの結婚式用に買ったものだったのですが、現在世間を騒がせている某C氏のおかげでどちらも中止、延期になり、、、可哀想なことに日の目を浴びたことがないのです。

 

デッドストック由縁のしぶとい畳みジワをスチームアイロンでせっせこ伸ばし、卒業式までの日にちを指折り数えたあの日々はなんだったのか、、、(とかいうて卒業式に袴を着る気がない時点でモチベーションはかなり低い方であり、「やった〜この機会にかこつけてドレス買える!」くらいにしか思ってなかった)

 

まあとにもかくにも、お祝いごと用に買ったけどこうなったら普段着にしてやるワイ!と意気込んでこれを着て出かけようと思ったわけですよ。しかし家から一歩足を踏み出したところで、なんと裾の幅が劇狭すぎて、一瞬にしてチョコチョコ歩きしかできない魔法にかけられる私。なに、、?!一歩で30センチしか前に進まない、、?!なぜだ!どうなってるってんだ!ぬあああ!!!とか思いながら家の前の道を20mくらい1人でチョコチョコキャットウォークしたところで精魂尽き果て、家に帰ってそそくさと着替えました。いや、洋服着てるんに和服の歩幅ヤン!面白いかよ!!と流石に思いました。あのキャットウォーク、誰かに見られていたのなら恥ずかし死にする。と同時に、1910年代のはじめパリでポール・ポワレが流行らせたホブルスカートは女性の脚を不自由にしたと言われているけれど、こんな感じだったのかしら、にっくきポワレめ、、、!とか真面目なことも思ってしまいました。(まあこのドレスは70年代のものなんだけど)

ja.wikipedia.org

 

とまあそんなこんなで問題がちょこちょこあるドレスなんですが、それが古着の味だなあとかも思うのですよ。裾幅にしても、現代の女性は力強く大股で歩かなければならないので、お直しに出して両側にスリットを入れようかな〜なんて考えてます。そんな風に、時代に合わない部分は自分でアレンジや改造を加えて着れちゃうのが醍醐味のひとつなんではないかと。サラのお洋服はどうしてもハサミとか入れる気にならないしね。スリット入れて歩きやすくなったら、切りっぱなしのフレアデニムとかをインに履いても可愛いですな、絶対。

 

ちょっとこれを着るには暑くなりすぎたので、大嫌いな夏をやり過ごし、その間に改良を加え、秋ごろには胸を張って着られるように整えてあげようと思います。

 「自慢の一着」というか、「手のかかる一着」紹介みたいになったけれど、洋服の持つ個性と、自分の個性や快適さを擦り合わせていけば、うまいことマッチした暁には「自慢の一着」になるんじゃないかな。それまでよろしくね!

 

湖の霧

 

なんか最近ブログを夜中に書くことが多くて、ちょっと感傷気味になるんだけど悪しからず。ちょっと前までは自分が夜中に書いた文章とかを次の日見返して、こんなもの公開できるものではない!と思ったりしたもんだけど最近はあんまり思わない、し、もし次の日見返してフフ、こんなこと書いてらあ私となっても、手直ししたりしないし、それはそれでいいかあ、と思うようになった。

 

そうそう、ところでまた昨日言及した本、落合恵子さんの「積極的その日暮らし」からなんだけど。

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茨木のり子さんのこの詩は、私も以前読んだときとても魅せられたので、よく覚えていた。

 

「心の底のしいんと静かな湖」

「その湖のあたりから発する霧」

それが人の魅力。なんて素敵な表現なんだろう。言い得て妙とはこのことだな、とも思う。

 

そして、それをあえて言葉にすると、「他者と自分の痛みに対する想像力」と表現した落合さんも素敵だ。

 

波立ってもいない、溢れてもいない、しいんと静かな水面は、自分と一対一で向き合う精神世界のような、厳かな雰囲気を感じさせる。

そしてそこから立ち上る霧は、まさに湖から何かが昇華されたような、美しい印象。

 

イメージとしては、もののけ姫でシシガミ様が住んでいたような、奥深い森の中の湖。その場所を知っている本人しか辿り着けないような、そんな湖。とかかな。

 

だけど、私にはその湖の正体が何なのか、落合さんのように自分の中でストンと落ちる表現がまだない。自分の湖を深め、育て、相手の湖の存在を確かに感じられるような人になりたい。

 

 

you’ve got a friend

 

小説やエッセイに出てくる実際のアーティストの曲が、自分が好きな曲だった時に興奮を覚えるのは私だけではないはずだ。

 

落合恵子さんの「積極的その日暮らし」というエッセイ集に出てきた、キャロル・キングの「you’ve got a friend (君の友達)」が、私にとって直近のそれだ。

 

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お恥ずかしながらこの本を古本屋で見つけ、タイトルに惹かれてなんとなく買うまで、著者を存じ上げなかったのだが、新聞の連載という限られた文字数の中で日々の思いや小さな変化を綴るその表現の奥深さが、染み込むように徐々に私の心に響く。そしてこの曲。なんだか、ああ、やっぱりね。この人とは絶対にお友達になれる。という確信を得る瞬間。

 

お友達なんておこがましいけれども、著者の好きな曲や、わざわざ文字にしてまで残したいその曲が、私の心の曲だということ。それが、全くお会いしたことはないし、もちろん彼女自身も彼女の著書もよく知らないのだけれど、もっと深いところで私たちがつながっているという証拠以外の何になろう。とさえ思うのだ。

 

キャロル・キングの曲は、私の人生に寄り添ってくれる曲が多い。多分一生聴くんだろうなあ、と今から思う曲やアルバムがたくさんある。またどこかでその魅力を書きたいな。

尊厳について

 

今日、スピ好きのマイメンと連絡を取っていてなんとなく整理がついたことがあったのでメモ的に残しておこうと思う。

 

来たる風の時代の本格到来に向けて(もうちょい先だけど)、今月はまさに「禊の月」「断捨離の月」ということで、何かを手放す、あるいはこの先も持っていくものを見極めたいという衝動にここのところ駆られてきた。それは物理的なことだけにあらず、例えば今までの自分のこだわりや、思考パターン、行動パターン、人間関係、などなども含まれる。というかそっちの方が大切な気がしている。

 

そして、まず自分のこだわりとはなんぞや、ということを自覚するためには、自分のコンプレックスに注目することがまずは簡単なよい方法かなと思った。コンプレックスというと身体的なことをまず思い浮かべたりするもんだけど、私が思い浮かべたのは、過去の嫌な思い出たち。そういうのもコンプレックスって言っていいんじゃないかなと思う。誰しも、一つや二つなんか心の奥底にこびりついて爪でこすってもなかなかとれない、嫌〜な思い出ってあるもんじゃなかろうか。そこに、私は自分のこだわりがあるんじゃないかなと思う。何故、その思い出たちがこびりついて取れないのか。私はその理由が意外と全部おんなじだったりしたのね。

 

私の場合、それは私が私であることの尊厳が傷つけられたと感じた時だった。尊厳、とか書くとなんか大層なことのように感じられるし、私が私であることの尊厳って、なんて我の強い女だ!!!とか土の時代に染まり切ったネトウヨみたいな人たちに言われそうだけど、そんな人たちには風の時代は自分がないと生きてけないのよ、という金言を浴びせつつすぐさまゲラウヒアしてもらって、他によい言葉が見つからないのでこの言葉にしておく。シンプルに言うと、私が私らしくいる、という本来誰にも侵されるべきでないことを、言葉や行動で軽んじられたと感じた時、かな、シンプルじゃねえ。

 

つまり私のこだわりって、常に私らしくいる、ということなんだろうなと自覚した。だから、このことが傷つけられた、と感じたからこそ、それが嫌な思い出=コンプレックスとして私の中に蓄積されたのだろうと思うのだ。

 

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いらないこだわりは捨ててナンボだと思うけれど、「私が私である」というこだわりをやめるとそれこそ人生お先真っ暗である。断捨離を始めようと思った矢先、一番捨ててはならない、なんなら墓場まで持っていくべきものが見つかってしまった。

(写真は駅前の商業施設の地下階から地上に上がるところです。空の切り取り綺麗でしょ。ポゥポゥ)

マッサージ

お題「#おうち時間

 

たまたま散歩にさえも出なかった日にゃあほんとに1日家にいるわけよね。当たり前だけど。そうすると、なんだか自分1人だけ外界から閉ざされて、時間が進むのが早いんだか遅いんだかも分からなくなるような、大袈裟だけど世界で自分1人だけみたいな、なんか変てこな感覚になったりする。それでもまた新しい明日はやってくるわけで、特に生産性のない毎日を過ごしてるのだけれど、それでもやはり新しい日を迎えるための今日の区切りみたいな儀式が大切になってきている。私にとってそれは寝る前のマッサージ。

 

主に足裏とふくらはぎをリンパマッサージするのだけど、特に足裏はリフレクソロジーの反射区を参考にして、しつこい老廃物をゴリゴリと流している。ちなみに反射区っていうのは、左右の足裏がそれぞれ左右の半身の各器官に繋がっているという考え方で、例えば左右どちらとも、土踏まずの少し下あたりのところが小腸の反射区になっていて、そこを揉んでみて老廃物のかたまりがあるようだったら(すっごいゴリゴリする)小腸の調子が悪いってことなんだって(便秘や下痢など)。

 

万年肩こりの私は、左右の肩の反射区が毎日これでもかってくらいゴリゴリするし、その時々で調子の悪いところは揉むとめーーっちゃ痛い。でも、自分の体調がモロに足裏に出るというのが面白い。それに、さっきの小腸の反射区なんかは結構即効性があると思っていて、うーんちょっと硬めのものがここ数日鎮座しておられるな、、、と思ってゴリゴリ流すと、次の朝スルッと出てこられたりとか。あれまあ。ということが以前に何度もあったりして、ここんところは毎日せっせこ真面目にマッサージするようになりました。

 

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マッサージはマッサージオイルが私的には一番で、その中でも大定番だけどやっぱりヴェレダのシリーズは香りがグッド。以前は定番のアルニカを使っていたのだけど、最近ちょっと暖かくなってきたし、と思って夏に向けてシトラスを初めて選んでみた。結果、匂いはアルニカの方が好きだけど、こちらもお風呂上がりの火照った体にスーッとする香りが悪くない。まあオイル自体ののびは無印とかに売ってるようなマッサージオイルの方が良かったりするんだけど。香りって心を満たしますしね、ええ。

 

どんなに面倒臭くても、やっぱりするとしないとでは翌朝の脚の軽さが嘘のように違うし、その日のむくみはその日のうちに取れと言うしね、、、これからも頑張って毎日継続していこうと思います。いつか足裏の道が開通する(ゴリゴリの老廃物がない状態を言う)日を目指して。

ごはん

 

最近のごはん。

 

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玉ねぎのマリネ(奥)、中村倫也が作ってたから作ってみたけど超おいしい。これだけでお酒のつまみにもなるし、鶏モモを生姜とニンニク、醤油につけて焼いたやつ(手前のネギまみれのやつ)にトッピングして食べるのも美味しかった(これも中村倫也が作ってた)。他にもいろいろアレンジききそう。ちなみにこの自粛期間中、中村倫也YouTube配信をありがたく見てるんだけど、彼の自己プロデュース力とファンサービスには改めて感心する。そしてそれを全く脱力してやってるところが素晴らしい。遅れて来た中村倫也フィーバー中なんで放っといてください。

 

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あと姉が煮卵を作ったと報告してきて、その画像がガングロたまごちゃん(おでんくんのキャラ、覚えてる?)がコロコロとつゆの中に浸かってるみたいで可愛かったので真似して作った(黄色い皿)。いつ買ったか覚えてないけど多分軽く3週間くらいは冷蔵庫に置いてる卵ちゃん2個もここぞとばかりにぶちこんで良い色に染め上げてやった。ちょっと危険?と思ったけどまあ茹でるしな!それも硬めにな!と思って。今のところお腹下してないからオーライオーライ。

 

常備菜があると安心して献立を考えられるな、と世の中の料理上手たちに今更??と言われそうなことを改めて思ったり。