尊厳について

 

今日、スピ好きのマイメンと連絡を取っていてなんとなく整理がついたことがあったのでメモ的に残しておこうと思う。

 

来たる風の時代の本格到来に向けて(もうちょい先だけど)、今月はまさに「禊の月」「断捨離の月」ということで、何かを手放す、あるいはこの先も持っていくものを見極めたいという衝動にここのところ駆られてきた。それは物理的なことだけにあらず、例えば今までの自分のこだわりや、思考パターン、行動パターン、人間関係、などなども含まれる。というかそっちの方が大切な気がしている。

 

そして、まず自分のこだわりとはなんぞや、ということを自覚するためには、自分のコンプレックスに注目することがまずは簡単なよい方法かなと思った。コンプレックスというと身体的なことをまず思い浮かべたりするもんだけど、私が思い浮かべたのは、過去の嫌な思い出たち。そういうのもコンプレックスって言っていいんじゃないかなと思う。誰しも、一つや二つなんか心の奥底にこびりついて爪でこすってもなかなかとれない、嫌〜な思い出ってあるもんじゃなかろうか。そこに、私は自分のこだわりがあるんじゃないかなと思う。何故、その思い出たちがこびりついて取れないのか。私はその理由が意外と全部おんなじだったりしたのね。

 

私の場合、それは私が私であることの尊厳が傷つけられたと感じた時だった。尊厳、とか書くとなんか大層なことのように感じられるし、私が私であることの尊厳って、なんて我の強い女だ!!!とか土の時代に染まり切ったネトウヨみたいな人たちに言われそうだけど、そんな人たちには風の時代は自分がないと生きてけないのよ、という金言を浴びせつつすぐさまゲラウヒアしてもらって、他によい言葉が見つからないのでこの言葉にしておく。シンプルに言うと、私が私らしくいる、という本来誰にも侵されるべきでないことを、言葉や行動で軽んじられたと感じた時、かな、シンプルじゃねえ。

 

つまり私のこだわりって、常に私らしくいる、ということなんだろうなと自覚した。だから、このことが傷つけられた、と感じたからこそ、それが嫌な思い出=コンプレックスとして私の中に蓄積されたのだろうと思うのだ。

 

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いらないこだわりは捨ててナンボだと思うけれど、「私が私である」というこだわりをやめるとそれこそ人生お先真っ暗である。断捨離を始めようと思った矢先、一番捨ててはならない、なんなら墓場まで持っていくべきものが見つかってしまった。

(写真は駅前の商業施設の地下階から地上に上がるところです。空の切り取り綺麗でしょ。ポゥポゥ)